ランドローバーオーナーインターナショナル
ショウ2016
イーストオブイングランド・ショウグランド・ピーターバラ
2016年 9月 17〜18日

探訪記録

そうした気持ちになるこの夏です。こうしたところに足をとめると、今までとは違う職務感を覚えます。
これまでは、随分傷んだものも求められているな、位の気持ちで見ていました。日本では、ディフェンダーやそれに繋がるシリーズ車も全て所謂外車です。大体日本は世界切っての自動車大国、本来外車の世話にならなければ立ち行かぬ業種といえば、極一部の道路建築事業者程度です。外車といってもアスファルトを布設する工作車輌で、日本の道路サイズに合い、高い作業効率をもつものがドイツ製だということ程度です。乗用車に至っては、こうした四駆スポーツ車も充分内国製が出揃い、ここに外車を求めるというのは、相応の経済的負荷を容認する後ろ楯があってだろうと、基本概念の底を上げて考えていました。アルミボディが齎す結果として高額なボディワーク、割高な新造部品、どれも容易く受け入れられるべき環境にいられるものとも考えました。しかし、新車が失われ、ただ古びるに任せて、無くなるに任せて同じような商圏を維持することは出来ないでしょう。
新車と比べ、中古車は、譲渡を繰り返される毎に、経済的環境に贅沢を言えなくなって行きます。二代目程度のオーナーであれば新車と変わらない負担も容認しましょうが、三代目、四代目、二十年も経てさらなる代替りを経てクルマが求められて行く先は、新車を求めた人が、勤務先の元請けの経営者レベルになっている可能性も高いのです。まだまだ価値を高く求めていけるオーナーが、買換えの際に、意外に査定が安かったからとお知り合いに売却されたりする例にも触れますが、そうして背景が異なる所有環境に移ったクルマが、容認される負担で、車種が持つ文化的な一面を一時代維持され易くする為には、この現地でこうした流通の持つ意味を私共も学ばねばならないかも知れないということです。ディフェンダーに採用されているエンジンは50万キロはメンテナンスで使い続けることが出来ますが、30万キロを数えたそれを譲り受けた人が、高額な新品部品を多用して内地でオーバーホールすることを望まれるでしょうか。でも、それに近いことをしなければ廃車の道を選ばねばならない程使い込まれたクルマであっても、残したいというお気持ちがあり、いや逆に、受け入れられそうなサプライがあれば、そういうお気持ちを誘える可能性がかなり高くなる。昨今は軽自動車でも、賢いユーザーは、20万キロ近く使って、ブローバイが増えてシールが直ぐに焼けてしまうようになったエンジンを、リビルトメーカーから再生品を求めて取り替えて使い続けられる話をよく聞きます。一寸前なら、買い換えてしまえば良いのにと思いもしましたが、情報を纏めて、そうしてエンジン換装を行なっても15万円程度だといわれると、成る程と納得もします。15万円の中古車を買ってもまた暫くしたら同じことになる。それなら現車に手を入れた方が安上がりという訳です。ディフェンダーは、結構数があるようになったといっても、やはり趣味性の強い外車であることには変わりありません。中古車の市場では、一定以上の人気があり、お値段は高止まり。年式の割に高いクルマをお求めになるのだから当然高くつくことも覚悟されていると凭れ掛かってばかりも居られませんね。日本でごそごそやっていても、生産本国の元々の車輌供給量とは比べ物になりません。この重たいモノを根気よく並べてショウの開幕を待つ程情熱のある人たちと仲良くして、地球の反対側の需要をむしろ面白がって取扱ってもらえるように、まめな御挨拶がそろそろ必須になって来ました。

ソウトウな状態の現車まるごと売っている例も多いのですが、これらの需要先は、これらを買って帰ってレストアするツワモノです。これ想像以上に多いようで、遠くから運んで来て展示する価値は充分にあるようです。丸車が再生には一番効率がよく、起こしたりする部品部材の見積も立て易いので、意外にこの二日で売れて行きます。誰しもこの旧式なクルマが必ずや必要な訳ではありません。イギリスのみならず、ヨーロッパの国民性というのも多分に作用しての旧車文化を忘れられません。彼らは自国の産品に強い思い入れを持っています。国や地域への情愛も、恐らく多くの日本人には想像出来ないものです。中でもシリーズ車は、英国が興した文化を担うものであり、所得を割いてそれを遺すことを美徳と考える人がかなり目立ちます。他の建物や生活用具に至るまで、余裕のある人は伝統に注ぎ込む社会性が後押しをします。勿論趣味が先立ってと思えることでもあるのですが、その前後を逆にして、そうした文化が趣味を呼んでいると見る方が正解みたいです。
さて、生産終了を記念して、メーカーの企画で再生されたシリーズIの頒布を弊社もHPで御案内しましたが、こちらも相当な状態のものからの再生を行なっています。その際、「付け加えたり、合わせたりすることを諦められ」と著しましたが、実際は誠にその通りで、ロットが持っているオリジナルが明瞭な、置き晒しのもののほうが、生産された時期のアッセンブリーを追い易く、思いのほか完成が早く、かつ健全になりがちです。いろいろと「ガッチャマン」を繰り返して今何とか実用に供されているものは、原型はどうだったかが、メーカーでさえも追跡が困難になるというものの様子です。多くの実働車は、私が所有したものもそうでしたが、パーツリストと部品の姿が違うなど、さまざまなクエスチョンマークを抱えているもの。しかし経済的に或いは限られた時間という原資を尊重しつつ路上に出す為には、率直なところそれは避けられません。実用という点でいえば、それはとても得心たる手段なのですが、モニュメントたる再生車をつくる目的とは道が違うということでしょうか。
まあこのような、五十年も前のもののことだから、とは実はもう言えないかも知れないのでこの話題なのです。時間が経ちますと、余程の意欲を傾注しない限り、使える状態にして使うのが道具使いの常套手段。手仕舞いから七八年でメーカーも部品によっては追加生産をしなくなります。シート回りの部品等から供給を罷めて行くものです。いよいよもう面倒を見たくない車種とされますと、スピードメーターワイヤーの生産を終えます。これがやられると車検が通らなくなるので、引導を渡されたようなものです。そうして段々とメーカーは旧い車種への引き締めを強めます。部品をこのように管理する理由は、大綱として見せられている大気汚染の防止と、メーカーが旧い車種に対しても課せられている安全性の確保の裁定義務の排除、つまり最終的には保身のためです。これに立ち向かうユーザーの手段として、旧いクルマから取外された部品の再利用が目立つ部分の可能性です。もしそれが不可能、つまり破損した部品しか入手出来ない場合、市中の技術を頼みにして再生することでしょうか。手近なところではシートの張替えや詰め替えが専ら行なわれます。シフトケーブルや速度計ケーブルなどは、接続金具を製作して、汎用或いは他車種のそれを造り替える。エンジンやトランスミッションは、入手不能の部位を製作して補充再生する。エンジンや発電機、コンプレッサーなどのユニットは大体部分品の補充再生を行なうことで全体の再生に導かれます。そうした手当てを受けるべきユニットのことを「コア」と呼び、もし再生完了ユニットの提供が受けられた場合、義務として自分のクルマに付いている同ユニットを提供者に返還する契約で、それがまた他の人の需要に応える原資となります。
しかし、どうしても同じユニットでの再生が不可能な場合、他の車種や機種或いは汎用品の改造で機能を回復します。これをワッピングといいます。
クルマは、道路に出続ける為に、部分的なレストレーションを常に受け続けています。全体が本来消耗品なのですが、タイヤとか制動保安系部品等だけをそういう訳ではないのです。たまたま目立って消耗するのでそれを指して消耗品というだけです。
クルマユーザーの多くが、5年のローン完済を時期に新しいものに入れ替えています。高い年式の中古車を求める人にもこの傾向がみられます。5年で新車に入れ替える人が放したものを他の誰かが5年使うと言う感じです。これは、単純に製造者のサポートサプライが元気なうちにその生産物から離れる「賢明な消費者」なのですが、ひとつのものを長く使うことが果たして賢くないといえるかというと、一概にそうもいえません。三百万円で買ったクルマが、10万キロの走行の用に供されますと、一キロあたりの本体消費額が30円です。そんな算数止めて?!、いやここから始めないと。つまり1キロ走るのに30円も使っているということ。ここで部分修復を50万円分掛けて、あと10万キロ使うと、キロ単価18円になります。車検等の法定維持管理費は含まないのは全てに応分に課されるからです。陸運業界で黒字車輌といいますと、12トンフルハーフパネル車で135万キロ走行後というんです。3500万円のトラックがキロ25円になった段階で稼ぎと投資のバランスが取れたと考えられるとか。これから見ると、5年で乗り換える時に下取が五十万の人は、物凄い椀飯振舞を、製造業者と貸金業者に対して披露しているとみられます。
ところで、手に入れたクルマを長く使って支出を押さえることが働く良いところってどんな感じなのでしょうか。
先ず、クルマではないものにお金が使えます。
自分やお子さまの習い事など経験を求めることは、案外無形でもなく、それを取り巻くものごとに対しての消費が必然的に伴い、専ら習う習わせることを躊躇われる要因となりますので、そうして消費力を高めることでより受け入れ易くなるでしょう。ユーザーが高齢になりますと増す医療費負担も軽く感じるようになるでしょう。勿論、ごちそうを食べられたりという遊興費も増やせる。
それよりも大切なことがあります。
一生懸命が叶った時代に一所懸命選んで手にした愛車を、長く手許に残せることは、誇りです。
旧くなったからと手放してしまうのは、折角の人生の輝く一時期をただの中古車にしてしまうこと。
私も沢山のクルマを乗り継いで来ました。時には経済的理由で手放したり、尤もらしい、旧くなって手入れが面倒になったからと手放したり、しました。それらのクルマと同じ色同じ型のと街で通り縋る時、私は必ず思います。あれは新車から保たれて来たのだろうかと。そして車内の人の顔を覗き込んでしまいます。大方はその時安堵します。ああ、あの人は中古車で買ったに違いない、と。見かけや年齢の感じが、そのクルマの新車時代の人物像と風情が異なるのです。
乗っている顔がクルマの顔と一致する。
このことは、もうそれだけで、充分誇って良いことだと、心から感じます。
もしそれが、ディフェンダーだったら。ランドローバー110/90だったら、シリーズワンツースリーだったら。
もう、言う迄もありませんな。このセカイには、ドンピシャ。
そういう人が、仕事で使っているクルマが一定のサイクルで入れ替わるのは業務の安定した遂行上ありでしょう。でも、身の回りのモノの中で大きな出費を伴う、着衣の一つのような乗り物を、もしそうして保っていければ、そこからは安定と定常と、大きな自信が滲むでしょう。
ここのがらくたの山は、そういう人がそういう人生を送る為の宝の山です。
何らかの理由でそうなれないクルマたちが、最も幸せな生涯を送る仲間に遺した遺産です。

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